石原茂雄御前崎市長へのインタビュー 


 「原発放浪記」を出版した直後だから、昨年の10月だったと思う。秘書室長の増田氏に頼み込んで、石原市長から話が聞けることになった。朝9時少し前、約束の時間に市役所に赴くと、2階にある市長専用の応接間に通された。5分ほど待っていると、石原市長と原子力政策室長である鈴木雅美氏が現われた。高校時代にラクビー部に所属していたという鈴木氏は、市長のボーディガード役といったところだろうか。


 最初の頃は和やかな雰囲気の中で市長の話を聞いていたのだが、やがて、たった1冊の本を書いただけでライター気取りの僕が、いかにインタビューなどという高尚で忍耐力を必要とする作業に不向きであったかを思い知ることになる。市長の不誠実でのらりくらりした物言いにカチンとなり、思わず激昂してしまい、「市長、あんた中部電力から汚れたカネをもらっているだろう!」といきなり叫んでしまったのだ。一御前崎市民として、いつも胸の中でわだかまっていた怒りが噴き出したのだった。


 すると市長はゆで蛸のように顔を真っ赤にして、「わしは平成2年に議員になり、20年間地元のために尽力してきたが、中電だけでなくどこからもいっぺんも汚いカネなどもらったことがない」と怒鳴り返してきた。こちらも負けてはいない。「ウソを言いなんな。元議員だったある人物からちゃんと情報は入ってんだよ。約15年前の選挙で当選した直後、中電から500万円という大金が当選祝い金の名目でほとんどの議員に支給されたというじゃないの。当選祝い金は選挙のたびに毎回支払われたそうだけど、市長、間違いなくあんたもその裏ガネを何度も受け取っただろう。このタヌキ親父め!」


 市長は目を白黒させ、「その元議員って誰?」と尋ねてきた。傍らで我々のやり取りを聞いていた鈴木原子力政策室長も身を乗り出し、「誰なの?」と真剣な表情で聞き始めた。目を剥いた2人の男の、誰?誰?と問い掛ける声が、しばらくの間広々とした応接間にこだました。「ある人物よ」と僕。それでも、誰?誰?と御前崎市の高額な禄を食んでいる2人。しばらく押し問答をした末に、「歯科医の元議員さんだよ」と僕は告白者の正体を明かした。「○原さん?」と鈴木氏。それには答えず、「その500万円は税金のつかないカネだったそうだけど、市長、本当なの?」と僕が質問しても、市長は口をあんぐりあけて天井を睨んだままだった。


 その直後に秘書室長の増田氏が現われ、朝比奈の農協に出かける予定があるからと呟いて市長は僕の前から姿を消し、インタビューは終了した。



6月29日、御前崎市佐倉公民館で行なわれた4市対協、産経ニュースより 

 今年4月15日、御前崎市長選及び市議選が行なわれたが、石原現市長は2人の対立候補を圧倒的な得票差で退け3選された。投票日前まで石原市長は、「防潮堤が完成しても、市民の安全安心が担保されない限り、再稼動を認めるわけにはいかない」と簡単には容認しない姿勢を見せていたが、再選された6月29日の「浜岡原発安全等対策協議会」(略して4市対協)の席上では、他の市長たちが「市民の理解が得られるまで、再稼動は容認しない」というようなことを言ったのに対して、御前崎市の石原市長だけは、「この地域は原発との共存が宿命。4市に立場の違いがあっても、原発が存在するという現実を前提に、地域振興を考えていくべきではないか」と発言していた。


 市民の安全安心など遥か彼方に飛んでいってしまい、原発と共存すべきだと明言しているのだ。福島の教訓など、このクレバーな市長にとって意味のないことだった。浜岡原発のお膝元である御前崎市では、反対派は蛇蝎のごとく嫌われ後ろ指を差され、この町では「原発賛成!」と高らかに叫んだほうが良いに決まっている。楽だし、もしかすると空から雨の代わりにカネが降ってくるかもわからない。特に御前崎の市議は、中電に対してシッポを振っていれば優しく頭をなでられ、残り物の餌ではなく上等な肉を放り投げてもらえるのである。歯科医の元市議も自慢げにベラベラと喋っていたが、市内のスナックが何ヵ所かタダ飲みできたらしい。議員の飲み代は中電が払うのだが、当然、この飲み代は電気代に上乗せされることになる。


 今年4月に実施された市長選及び市議選の前までは、16名いる御前崎市の市会議員のうち、共産党の議員を除いた15名の議員が浜岡原発推進派か、あるいは容認派だった。なぜ、こんな異常な数字になったかというと、彼らは中部電力からさまざまな面で厚遇されているからである。大飯原発を再稼動するのに、地元町長や町議の意見が重きをなしたと聞いているが、日本の国土を危うくするような浜岡原発の稼動か否かを、こんな欲にまみれた連中に絶対に託してはいけない。原発が立地する自治体の、一部の人間だけの判断で再稼動が認められるようなことになってはいけない、と僕は考えている。


                                       2012年9月28日