癌(ガン)と宣告されて!

浜岡原発の全景、PR館より。 |
このホームページを立ち上げた直後の5月21日、以前から断続的に襲ってきていた腹部の痛みに不安を抱いた私は、近くの御前崎総合病院で大腸の内視鏡検査を受けました。その結果は、大腸に悪性らしきポリープがあり、大きく腫れ上がっているという衝撃的な内容でした。即入院を告げられたのですが、地元の御前崎病院にもうひとつ信頼性を持っていなかった私は、その3日後にあわてて浜松医大に駆け込み、そこでも内視鏡検査とCTスキャンなどの検査を行ないました。浜松医大での検査では、現段階では他への転移は見られないということで、「ステージ3」という診断を受けました。 |
大腸が塞ぎかけていて緊急を要するということで、担当医師が手術日を早めに設定してくれ、6月3日に浜松医大病院に入院、そして6月10日に手術を行ないました。手術後の経過は良好で、その翌日には早くもリカバリー室から大部屋(6人部屋)に移され、おしっこの時にも1人で歩いてトイレに通いました。その後の検査で胃にも悪性ポリープが発見されたのですが、これは幸いなことに大腸からの転移ではなく、医師の説明によると新たに発生したものだということでした。こちらのほうは「ステージ0」ということで、6月26日に内視鏡で患部を除去してもらいました。今回の大腸手術がないと胃のポリープのことはまったくわからなかったわけで、そういう意味では不幸中の幸いというか、大変にラッキーだったと思っています。
おまけに、さらにラッキーなことに切除した大腸を顕微鏡で詳しく調べてみると、大腸と共に切除したリンパ節にもまったく転移が見られなかったということで、「ステージ3」から「ステージ2」に引き下げられたのです。最初の御前崎総合病院及び浜松医大での検査の時には、患部の状態から末期ということも充分に考えられると告げられ、その場合には5年以内の生存率は15%以下ということもありうると宣告されたのですが、手術後の検査で50%になり、そして「ステージ2」に訂正されると共に80%は大丈夫というお墨付きをもらったのです。そして、1ヵ月近くお世話になった浜松医大病院を6月30日に退院しました。

ここで、私が入院中に体験した不思議を2つ紹介したいと思います。一つ目は、大腸手術のあと麻酔から覚めると、自分の魂がほんの少し肉体から離れているのです。魂が離れていると言っても危険という意識はほとんどなく、体にメスを入れたために、魂がビックリして分離したのだということはすぐに理解できました。いずれは肉体に無事に収まることはわかっていたのですが、分離している間はとても不安な気持ちで堪らなくなります。手術室からリカバリー室に運ばれたのですが、その間も魂は離れたままでした。
リカバリー室には、私の友人たち数名が来てくれていました。その中には女性の顔も見えます。肝心の妻が来ていない理由は、実は私の妻はタイ人でして、いまは2人の子供と共に北部タイ地方のランパーンという小さな町に住んでいるせいです。妻はこの場にいないのですが、心配して来てくれている女性の中の誰かに手を握られるとか、やさしく肩にでも触れてくれたら、分離した魂は肉体にかっちりと納まるのが何となくわかるのですが、口にするのがはばかられて黙っていました。
そのうちに、麻酔が切れてきたらしく、手術した箇所の痛みが激しくなってきました。痛みに身もだえしていると、その動きで魂はどんどん肉体から離れていきます。「これは、いかん!」と目をつむると、そのまま寝入ってしまいました。そのあと目を覚ますと、魂は肉体にきっちりとはまっていました。たったそれだけの話なのですが、この魂が肉体から分離したという話を、これから手術する5名ほどの人に語って聞かせました。その結果、その中の1人が私とよく似た体験、・・・・つまり分離を体験したそうです。
もう一つの不思議は、今回の入院で病状が悪いほうに傾くか、良いほうに傾くかという、まるで自分の運命をサイコロの目で占うような思いを何度か経験しました。悪いサイコロの目が出ると新たな手術か数年後の死であり、良い目が出ると生の確率が高くなっていきます。数度の検査でそういう分岐点というか、運命の分かれ目を幾度か体験したのですが、そのたびに妻と一緒にタイで暮らしている私の子供たちが脳裏に現われて、「パパ、心配しないで、大丈夫だよ!」と笑顔で言ってくれるのです。そして、検査結果も毎回、子供たちが教えてくれた通りに最良の結果がでました。そのたびに私の生存率もアップしていき、おかげで近い将来での危機は完全に回避されたのです。今回は、この生命を子供たちに助けられたと強く実感しています。
今回の手術では、妻とか身内とかが側にいなかったのですが、やはり手術当日とそのあとの数日間は、側に誰かがいないと結構辛い思いをします。手術の翌日には歩いてトイレまで行ったのですが、これが本当に辛かったですね。小さなコロの付いた点滴の台に捉まりながら、途中何度も休憩を取りつつ、部屋から20メートルほど離れたトイレまで青息吐息で通ったものです。最初の2、3日間は、トイレが無限の彼方にあるように感じました。数日後、いくらか元気になって部屋の入口からトイレ入口までの歩数を数えたのですが、普通の歩幅で35歩ありました。
病院のベッドはリモコンの操作一つで起こしたり倒したりできるのですが、そんな便利な装置が付いていても、手術後、体を起こすのは大変な作業でした。トイレに行きたくなった私が、1人で体を起こそうとしてどうしても起こすことができず、ベッドの上で悪戦苦闘しているのを見るに見かねて、同室の人が助けてくれました。やはり手術の時には、身内に来てもらわないと大変な思いをすることになります。「妻がいてくれたら!」と何度も思ったものでした。退院してからは体調のほうは至って良好で、今年の夏も3年間続けてきた富士登山に挑戦しようかなと考えています。でも、・・・・う〜ん、ちょっと無理かな?
私の大腸に悪性ポリープが巣食ったのは、医師の話では2、3年前からだということでした。2、3年前には、私は浜岡原発内で働いていました。管理区域内という危険区域に勤務日には毎日入っていたので、毎日現場で一定の放射線を浴びていたことになります。放射線被爆と癌(ガン)発症の因果関係は、すでに世界中で認められています。そして実際、原発城下町と呼ばれる浜岡原子力発電所の周辺地域で暮らす人々の中に、癌患者が多いのも事実です。私の体に巣食った悪性ポリープも、原発構内で働くことによって繰り返された放射線被爆に原因があると考えています。あの原子力発電所内での作業は、決して今回の癌(ガン)発症と無関係ではないと考えているのです。
2009年8月2日 |
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