御前崎市で反原発の訴えを!


 上関町の原発計画に抗議して、19歳と20歳の男性5名が山口県庁前で続けていたハンガーストライキは、原発に対して疑問を持っているが発言できない人たちに勇気を与えた。彼らは座り込みを続けていた10日間は水と塩しか口にせず、1月31日の午後1時に終了した。1月21日から始め、目標としていた10日間をクリアーしたからである。その間彼らは水と塩以外口にせず、全員が5キロから12キロ体重が減ったとのことだった。


 


 上の写真は、彼らが県庁前で座り込みを続けている様子である。ブログに掲載していた写真を無断で載せたが許してくれるだろう。彼らは、同世代の若者たち約800名の署名を集めて県庁を訪れたのだが、担当者は苦労して集めた署名を受け取ろうとしなかったそうである。そのあと知事に面会を求めたが会ってくれず、結果的に、それがハンガーストライキを始めるきっかけとなった。


 彼らのブログには毎日1万5千人ほどのアクセスがあったという。県庁に舞い込んだ手紙やハガキは140通以上にのぼり、全国から彼らに寄せられた激励のファックスは1000枚以上であった。彼らのまわりには多くの市民が集まり、県の職員がニコニコ顔で彼らに送られてきたファックスを手渡している様子が、映像で配信されていた。彼らが、「ありがとうございました」と叫ぶと拍手が起こった。若者たちの行動は大変な快挙として多くの人々に支持されたのだった。


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 それから、1月17日の東京新聞では、「大間原発建設に反対、闘い続ける小笠原厚子さん(56)」というタイトルでこのような記事が載っていた。「両脇に高さ2メートル余りの金網が続く小道。海から吹きつける風速20メートルの風が路面の雪を巻き上げ、向こう側に巨大なクレーン数機がかすんで見える。20分ほど歩くとログハウスがあった。傍らに「あさこハウス」の看板。「風で周囲のフェンスが壊されてね」と、明るい声の小笠原厚子さんが扉を開けた。」この新聞報道以後、大間原発に反対し続けている小笠原厚子さんのもとには、毎日何通もの激励の手紙が全国から届いているのだという。


   
「あさこハウス」と小笠原厚子さん。


 「海の恵みがあれば生きていける」と言って、彼女のお母さんの故熊谷あさ子さんはがんとして用地買収に応じなかったそうである。大間原発を建設している電源開発は、2003年に土地を明け渡すように熊谷さんを訴えた。その結果、熊谷さんは青森地裁、仙台高裁で敗訴したが、最高裁に上告して闘い続けている。小笠原厚子さんは、母親の意思を受け継いで「あさ子ハウス」を守っている。


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 やはりマスメディアの力は凄いと思う。こうやって報道してくれなけば、我々が知ることはなかったのだ。2009年8月に発生した駿河湾地震のときには、テレビで高速道路の路肩が崩れたことを延々と流していたが、我々が本当に知りたかったのは、今回の地震で浜岡原発は大丈夫だったのか?という報道だけであった。だが、テレビ局も新聞社も、大スポンサーである中部電力に対して腰が引けているのである。何年か前に、東海地震に対する浜岡原発の危険を報道した某新聞社に対して、中電の静岡支店長らが抗議に行ったという話を聞いたことがあったが、この駿河湾地震のときも中電からマスコミに対して何らかの働きかけがあったのは事実であろう。


 駿河湾地震のときに、テレビ報道ではまったくというほど取り上げられなかった浜岡原発では、もっとも新しい5号機が異常な揺れに見舞われ、パイプの破断や、燃料プールの水があふれ重大な放射能汚染事故を起こしたのだ。地震直後は、てんやわんやの騒ぎであった。しかし、このような事実がまったくと言って良いほど報道されていないのだ。高速道路の路肩が少し崩れたことよりも、何倍も重要なことなのにだ。ところが月刊誌の「DAYS JAPAN」では、今年の1月号で、「浜岡原発、爆発は防げるか」という原発問題の第一人者である広瀬隆さんの記事を中心とした原発の特集記事を載せているが、このようなメディアには拍手を送りたい。


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 ところで私の住んでいる御前崎市だが、困ったことにとても静かなのである。世界一危険な原発として、世界中の学者や有識者から名指しされているのに、そのお膝元ではほとんど何も行なわれていないのだ。町に浜岡原発の危険を訴える看板も立っていなければ、放射能の危険を訴える声も聞こえてこないのだ。つい最近、御前崎市役所近くの寒椿や、早咲き梅の放射能汚染による奇形植物の調査のためにやって来た東京在住の友人が、「御前崎市の連中は、相変わらず何もやっていないんですね・・・・・」と嫌味を言って帰って行った。


 それに、横浜に住む知り合いも、「浜岡では、どのような活動が行なわれているのでしょうか?」と頻繁にメールで言ってくるが、何も答えられないというのが現状である。しかし最近になって、街宣カーを走らせようという動きが出てきた。浜岡原発のお膝元である御前崎市内をである。JanJanニュースにも、浜岡原発のことでたびたび記事を載せている東井怜さんが提案して実現しそうなのだが、そのときには私もぜひ参加させてもらおうと考えている。




                                          2011年2月16日