![]() 「原発いらない福島の女たち」が、霞が関 経済産業省の前で27日から3日間の座り込み! 10時〜15時までのあいだ、約100名の座り込みだそうです 下の文は、9月19日、明治公園大集会で大きな感動を与えた武藤類子さんのアピール 『 私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください』 原発いらない福島の女たち ブログ:http://onna100nin.seesaa.net/ ![]() 川勝平太知事は26日、浜岡原発を訪れ、津波対策のために着工した防波壁の工事現場を初めて視察した。知事に同行した石原御前崎市長は、「完成後に、ここに落ち度があると県から指摘されては我々は不安を感じる。そうならないために、定期的な工事のチェックを行なってほしい」と要請した。川勝知事は、「わかりました」とその場で承諾した。 川勝知事は浜岡原発再稼動の条件として、以前から、使用済み核燃料処理問題の解決を 挙げていたが、石原市長や中部電力が防波壁工事完了後の再稼動について懇願すると、知事は少しもブレることなく、「使用済み核燃料の問題が解決したら」と一貫した考えを示した。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 私は、市議会で原発問題が議論の対象になるときには極力傍聴に行くようにしているのだが、先の市議会で共産党議員が原発問題を取り上げたときの石原市長のコメントは、まるで中電のスポークスマンのようであった。市長のコメントを聞いていると、この人、いつ中電に就職したの?と首を傾げたくなるような、中電を擁護する意見を延々と述べていた。 原発黎明期の1983年、その当時の敦賀市長の高木孝一氏が講演会で、このように述べたそうである。「(原発を誘致して)いま大金を貰えるのなら、50年後、100年後に、生まれてくる子どもが全部カタワでも仕方ない・・・・」この鬼市長のもと、福井県敦賀市には原発銀座と揶揄されるぐらい数多くの原発が建設されたのである。 わが町(御前崎市)の市長は、敦賀市の市長のように、「生まれてくる子どもが全員カタワでもかまわない」という発言はさすがにしていないが、住民の安全よりも交付金を貰うほうが重要だとする姿勢には、敦賀の市長と同類の匂いを嗅ぐことができる。とにかく、石原市長が恥も外聞もなく中電のスポークスマンらしい発言を始めたことに、中電と市長の焦りを感じる。 |
![]() ![]() |