労災申請!



遠州灘から見た御前崎灯台。 
 私は、2003年8月10日から2008年9月6日までの5年間余り、中部電力浜岡原子力発電所構内で働いていました。私の働いていた現場は、2号機建屋内の黄服エリアと呼ばれる管理区域内です。そこで、放射能で汚染された廃棄物を仕分けして、ドラム缶詰めにする作業を行なっていたのです。ドラム缶詰めした汚染物質は、御前崎港から船舶で青森県の六ヵ所村にある放射線物質格納施設に定期的に運ばれていました。放射能汚染の顕著な現場で働く者たちを放射線従事者と言うそうですが、まさに私は浜岡原発で放射線従事者として働いていたのでした。 


 2008年9月6日に私は浜岡原発内での作業員としての立場から離れたのですが、その年の暮れ頃から腹部に痛みが生じるようになり、近所のクリニックに通うようになった。しかし、ウイルスによるものだとか、尿道結石の疑いがあるとか言われるだけで病名がはっきりしませんでした。そして2009年の4月、思い切って御前崎総合病院の内科にかかり下腹部のあたりを「エコー」で調べてもらったのだが、ポリープらしきものは発見されなかったと言われ、喜んで自宅に戻った。ところが、正体不明の痛みはそれ以後も続いていたのです。常に痛いというわけではなく、1週間のうち2、3日間ぐらいの割合で下腹に痛みが走っていたのです。


 5月に入って再び御前崎総合病院に通うようになり、思い切って内視鏡検査を受けることにしました。初めての内視鏡検査でした。すると、大腸に悪性らしきポリープがあって大きく腫れ上がり、大腸を塞ぎかけていると診断されたのです。病院から戻ったあと知人に相談すると、手術するのは浜松医大病院が良いだろうということになり、地元の病院で内視鏡検査を受けた数日後の5月24日に心配してくれる知人と共に浜松医大病院に駆け込んだのでした。そこでも内視鏡検査とCTスキャンなどの検査を受け、緊急を要するということで担当医師(倉地先生)が手術日を早めに設定してくれ、6月3日に浜松医大病院に入院、そして6月10日に手術を行ないました。


 手術後の経過は良好でしたが、その後の検査で胃にも悪性ポリープが発見されました。でも、胃の悪性ポリープは幸いなことに大腸からの転移ではなく、医師の説明によると新たに発生したものだということでした。こちらのほうは「ステージ0」という診断内容で、6月26日に胃内部の粘膜を削るという手術を行なって患部を除去してもらいました。他への転移があった場合には5年以内の生存率は極めて低いと医師から宣告されていたのですが、内視鏡検査とCTスキャンなどの検査の結果、現段階では他への転移は見られないということで「ステージ3」という診断を受けたのでした。


 そして手術後の検査で、大腸とともに切除したリンパ節にもまったく転移が見られなかったということで、最終的に「ステージ2」に引き下げられたのです。6月30日の退院後も経過はいたって順調だったのですが、昨年11月の大腸の内視鏡検査によって他の個所に7ミリから8ミリという比較的に大きなポリープが発見され、今年の1月18日と19日の2日間入院してポリープの除去を行ないました。それから、今月の16日には胃カメラでの検査を実施したのですが4ヵ所のポリープが発見され、内視鏡で除去しました。いつの間にかポリープのできやすい体質になってしまったようです。3月8日にはCTスキャンでの検査があるのですが、こんどはどの部位でポリープが発見されるのかと考えると不安でたまらない気持ちになります。


 


 私が浜岡原発内で作業していた現場は、一般的に低レベル放射線エリアと呼ばれていました。それは、低レベル汚染物質と言われている廃棄物を扱う現場だったゆえにそのように呼ばれていたと思うのですが、この呼称には現場で働いていた頃から疑問を抱いていました。我々の扱っていた廃棄物の大半は定検工事の時に出てきます。その中には高レベルの廃棄物も低レベルの廃棄物も当然あるのですが、高レベルの廃棄物の仕分け場は原発内のどこにもないのです。時々、とんでもなく高汚染の廃棄物が運ばれてくることがあったのですが、浜岡原発内で発生したすべての廃棄物は、私たちが働いていた現場に運ばれてきていたことを意味しています。その中には炉心周辺に張り巡らされていた配管もあれば、制御棒を入れていた枠もあったのです。もちろん、我々の職場にきた時には小さく切断されていました。 
浜岡原発建屋。


 それから、私たちが廃棄物の仕分け場で働いている時には、黄服を着用してフードマスクを被っていました。フードマスクとは、ビニール製で頭からすっぽりと被るタイプの保護具です。目の位置は透明のプラスチックで出来ていました。送気ユニットでフードマスク内に空気が送られてきていたのですが、この空気は酸素ボンベなどから送られてきたものではなく、室内の空気をそのまま取り込む仕組みになっていました。送気ユニットにはいちおうフィルターが付いていましたが実にちゃちなもので、ほとんど役に立っていなかったのではと思っています。仕分け場では廃棄物と呼ばれている放射性のゴミを扱っていたので、当然のこと室内には埃が舞っています。仕分けする品物によっては、もうもうと埃の舞う時もありました。外部被曝はフードマスクやテーピングやゴム手袋を2枚することによって防げたのですが、あのような現場作業によって内部被曝を繰り返していた可能性は大いにあったように思われます。作業を終えて外に出たあと、口の中に錆臭い匂いが残っていたり、いがらっぽさがありましたから、かなり汚染した空気を吸っていたのでしょう。


 それから低レベルの放射線であっても、繰り返し被ばくすることによって何年か、あるいは何十年かのちにガンになることがあると聞いています。放射能というものは体内に蓄積します。いくら微量でも、10年間そのような職場で働いていたのなら10年間分が蓄積します。私の場合は中部電力浜岡原子力発電所で5年間そのような作業に従事していたので、当然5年間分の放射線物質が私の体内に蓄積している計算になります。一般の人々の被曝限度は1年間あたり1ミリシーベルトと言われています。しかし、この線量の被曝が安全だというわけでは決してなく、10万人がそれぞれ1年間に1ミリシーベルト被曝すると、その中から放射線によるガン死が1人から37人の割合で発生するとされています。計算の仕方によってこのような大きな差が生じるのですが、ICRP(社団法人、日本アイソトープ協会)では1万人に0、5人という数字を採用しています。この計算ではガンによる死亡者を割り出しているので、私のような発症者の数はもっともっと多くなると考えられます。


 私が従事した作業のほとんどが廃棄物の仕分け作業だったのですが、その他にも、この5年間の間に定期点検の作業にもいくどか従事しています。その現場は浜岡原発だったこともあるし、出張者として四国電力の伊方(いかた)原子力発電所でごく短期間、制御棒を入れていた水を抜いた水槽の内部に入り、高線量で汚染された壁面を汗をしたたらせながら雑巾がけしたこともあります。それに東北電力の女川(おながわ)原子力発電所にも出張で行き、同じような作業に従事した経験があります。出張先であるその2ヵ所の現場は、私が所属していた「(株)美粧工芸」からの出張者として向かいました。


 どこの現場でも、作業者に対してほぼ1日かけて放射線管理教育を行ないます。もちろん、浜岡原発でも行ないます。この教育の最大の目的は労働者の不安や恐れを取り除くためであって、原発が危険だとはいっさい教えてくれません。国の被曝許容範囲内でやっているから絶対に大丈夫だ、安心して働きなさいと教えてくれるだけです。そして、原発を反対している連中が放射線の影響でガンや白血病に侵されると騒いでいるが、あれは嘘だ!と声を張り上げて大嘘を教えてくれます。中部電力のような大手の社員にとって、こんな危険な場所で働くような下請け労働者は無知だと思い込んでいるので、矛盾だらけの言葉を平然と駆使して労働者を洗脳しています。このような発電所の姿勢には大いに問題があると思うのですが、いかがでしょうか。


 微量の放射線を受けてもすぐには影響が現われないのですが、放射線によってガンの発生率が大きく増加することは、いまでは世界の常識となっています。私のガン発症も原発での労働に原因があると考え、労災認定を求めることにしました。そして、以前働いていた「(株)アトックス」の下請け業者である「(株)美粧工芸」に労基署で受け取った書類を渡して記入を頼んだのですが、結局書いてもらえず、会社側の記入欄が無記入のまま昨年の11月に磐田の労働基準監督署の労災課に書類を提出しました。労災認定を求めて、もっとも助かったのが医療費の支払いが停止されたことです。それというのも、高価な抗ガン剤を服用しているせいで、毎回の支払いが大きな負担になっていたからです。もし労災認定が却下された時には、すべて支払うようになるのですが、その時はその時のこと。とりあえず、とても助かっています。


 労災認定を求めたことで、多くの人や団体からの支援をいただいています。どのような人々から支援をいただいているかは、差しさわりがあるかも知れないので、ここでは書かないことにします。明日の2月26日の午後から、磐田の労基署に出向いて労災課の担当者と面接をする予定になっているのですが、私のために3時間の時間を割いてくれるそうです。私は口での説明が苦手なので前日になってあわててこのような文章を作成したのですが、どのような話し合いが行なわれたかは、その後に報告したいと思います。それから原爆被害者の場合には、ポリープ発生の事実があっただけでいまでは原爆症と認定されるようになったそうですが、原発労働者の場合には、電力会社が原子力発電所の存続に関わると危機感を抱いているせいか、認定は極めてむずかしいと聞いています。しかし、負けずに闘っていこうと考えています。




                                             2010年2月25日