健康ハイキング!


  天神山の男神(おかみ)と女神(めかみ)(2月18日木曜日)


 
天神山(男神山)。


 今回は、御前崎周辺の地図を眺めている時に見つけた、「天神山」とか、「男神」「女神」という地名に惹かれて行ってみることにした。訪ねる前のインターネットで調べたのだが、この土地に対する情報量が圧倒的に少ない。少ないというよりも無いに等しかった。これはあまり期待できないなと思ったが、実際に訪ねてみて天神山を目にした瞬間、その奇怪な山容に驚いてしまった。この山全体が石灰岩で出来ている。数ヵ月前のこと、最近できた国道473号線相良バイパスを走っている時に、牧の原台地のなだらかな丘陵地帯の中で、場違いのように鋭く尖った峰が陽光を受けて白く輝いているのを目にしたことがあったが、まさしくこの岩峰だったのです。


 この不思議なかたちをした山は相良にあるのだが、相良という土地は大地に摩訶不思議な気が流れているのでしょうか、数々の不思議の存在するところではあります。瓢箪型やまゆ型や真ん丸い形をした「子生まれ石」が川岸から生まれるのもこの相良町ですし、太平洋側から唯一発見された「油田」もこの相良町にあります。それに、波津の沖合いに位置している愛鷹岩という小さな岩礁には、真水の湧く井戸があるという嘘のような話を聞いたことがありますが、それが事実ならまさに不思議そのものです。それから相良の油田から採集された油は、アラブ製の原油などとは比較にならないぐらい純度がすばらしく良く、精製しなくても直接車の燃料として使用できるそうです。


 
男神集落の向こうにそそり立つ天神山。
 
集落の入口にある崩れかけた常夜灯。


 農道の空地に車を停めて、天神山に向かった。まるで砲弾のような形をした奇怪な山塊が、正面にスックと立っています。その天神山の麓にある集落を男神というそうです。村の入口で石の常夜灯が出迎えてくれたのですが、上の写真のように崩れかけていました。長くこの無残な姿をさらしているのでしょう、台座の岩には「三夜灯」と刻まれていました。村内に入ると、天神山に向かう前にまずこの村の守り神である「男神社」に向かうことにした。男神社は天神山の麓に位置しています。


 神社の入口に「天神山男神石灰岩」の説明書きがあり、それによるとこの石灰岩にはサンゴ礁の化石がたくさん含まれているので、このあたりが熱帯の海底であったことを示していると記されていた。だが実際は、サンゴ礁の化石を含んだこの石灰岩は、熱帯地方の海底よりフィリピン海プレートの移動により気の遠くなるような長い歳月をかけて運ばれてきたもののようです。その後地震による隆起でこのような姿になったのですが、決してこのあたりが大昔は熱帯だったわけではないのです。それから、かなり以前からいつ来るのかと住民の心配の種になっている東海地震は、このフィリピン海プレートの移動と駿河湾トラフとのせめぎ合いで起こると言われています。



男神社(おかみしゃ)。 

天神山の中腹にて。 


 男神社の境内には、江戸時代に相良藩士の建てた「筆塚」があり、牧の原市の文化財に指定されている。ちなみに、「天神山男神石灰岩」は静岡県の指定文化財(天然記念物)です。男神社にお参りしたあと、いよいよ天神山に向かうことになった。公民館の裏側から登りはじめる。中腹まで耕作地になっていて、女性のお年寄りが畑仕事をしていたので、いろいろと話を聞いてみることにした。山頂まで登れないか問うと、70歳を過ぎたその人が小学生の頃には友達と共に登って遊んでいたそうである。でも、いまでは登る人もいなくなって、山頂に向かう道は藪や雑木に覆われてしまっているだろうとのことでした。「山頂に登ったのは、50年前のことですか?」と聞くと、50年前は20歳を過ぎていたのでもっと前だと言っていたが、元気なお年寄りでした。


 近くまで行く道が残っているので、行ってみたらと言うので藪をかきわけて進んだ。道は雑草に覆われていて、石灰岩がごろごろ転がっている。掘り切りのようなところを通って裏側に回ったが、行けるのはそこまでだった。その先は完全に道が消滅している。中腹まで戻ると、お年寄りの姿はすでに畑の中になかった。麓の男神集落を見下ろしながら弁当を広げた。この弁当は途中のコンビニで購入したのだが、風光明媚な場所で弁当を広げるのが、すっかりハイキングの楽しみになってしまっている。前回の軽便鉄道のコースをサイクリングした時には、150号線沿いのコンビニでパンと飲物を購入して、その近くの突堤で相良の海を眺めながら食べた。


 
天神山の麓の男神集落。
 
帝釈山(女神山)遠望。


 弁当を食べたあとは別の道をたどって麓に向かっていたが、上のほうの茶畑のほとりに男性の姿が見えるので、何か話が聞けるかも知れないと思って向かった。この男性も、先ほどのお年寄りに負けないぐらいの高齢だ。天神山で採れた石灰(いしばい)の話や、天神山の山頂にスックと伸びていた松の木の話などをしばらくのあいだ聞いたあと、この山にまつわる伝説でも残っていないですかと聞くと、このような話を語って聞かせてくれた。この天神山と直線にして1キロほど離れた帝釈山には雄雌の大蛇が棲んでいて、2匹の大蛇は頻繁に行き来していたそうだ。以前は、2匹の通ったあとがくっきりと田畑の中に残っていたのだという。


 それから、こんな逸話も語ってくれた。昔、ある人が帝釈山の頂きにある女神社にお参りに行った。中腹を過ぎると道は急坂になるのだが、ちょうど石段の登り口のあたりで大木が倒れて道を塞いでいた。その人は大木を跨いで通ろうとしたのだが、内股が触れた時に大木が微かに動いたように感じた。おかしいなと思いながらも、そんなはずはない気のせいだと思い直し、石段を登ってお参りをした。そのあと下って来たのだが、道を塞いでいた大木がいつのまにかなくなっている。その人はすぐに大木の正体は大蛇だったと気づき、転がるようにして家に逃げ帰り、その夜から発熱して寝込んでしまったのだという。


 帝釈山の中腹には、10数年前まで大蛇が棲んでいると伝えられていた空洞が残っていたが、石灰の採掘によって壊されてしまったらしい。いまでも採掘は続けられていて、時々ダイナマイトの音が響いているそうである。男神の天神山と女神の帝釈山のほぼ中間に萩間川が流れているのだが、その川に架かる橋は「男女橋(めおとばし)」と命名されている。これは、2つの山に棲むと伝えられている大蛇伝説によって名づけられたのだ。帝釈山の山頂にある女神神社まで行くことができると聞いたので、お年寄りから詳しく道順を聞いて徒歩でたどってみることにした。途中、男女橋を渡ることになったのだが、説明されたように橋のたもとには大蛇の話をモチーフにした絵が刻まれていた。


 
参道には梅や桜の木が植えられている。
 
中腹から帝釈山を望む。


 橋を渡って少し行くと国道473号線に出る。北に道をとり、女神公民館の手前を左に折れて、しばらく行くとロープを渡している帝釈山への登り口があった。中腹にいたり、採石場にはユンボが停めてあったが人影はなかった。更に進んで行くと道は藪の中に向かい、どこにも頂きに向かう道は見つからなかった。やむなく下り、国道から女神集落に入って登山道を捜した。集落の背後にある登り坂の手前の民家に人がいたので聞いてみると、女神神社のある山頂に向かう道はここで間違いないとのことだったので、勇んで登りだした。道のほとりには紅梅が満開であった。その他にも染井吉野とか河津桜が植えられていて、早咲きの河津桜はつぼみがほころびかけていた。来週か再来週には早くも咲くのではないだろうか。


 
女神神社に向かう石段。
 
山頂にある女神神社。


 中腹を過ぎると、前方に石段が見えてきた。先ほどのお年寄りの話の中で、大木のような大蛇が横たわっていたというのはこの場所であろう。今日は大蛇の姿は見えなかったが、石段の上り口のところに、小さな「馬頭観音」の石仏が祀られている。その脇にある手書きの説明書きによると、この場所で農耕馬が息を引き取ったので、飼い主がその死を哀れんで亡くなった場所に石仏を安置したようなことが書いてあった。石段下のわずかばかりの平地は茶畑になっているが、その当時からこのあたりは耕作地だったのだろう。石段を登って行った。石段には石灰岩が使用されていてモルタルの補修がされている。この登り道は「つわぶき参道」と命名されているが、確かに沿道にはつわぶきが植えられている。道の途中で天神山が望めるのではと期待したが、竹や松の木に遮られてまったく見えなかった。


 
左手前の山は帝釈山(女神山)、右側に小さく天神山(男神山)が見える。


 山頂にいたった。社殿は、石灰岩を台石にして建てられている。写真を撮ったあと、駿河湾を眺めながらしばし休憩。帝釈山を下ったあとは女神集落を抜けて、田んぼの中に建つ「天神社」にお参りをし、男女橋を越えると「白山社(はくさんしゃ)」まで足を延ばした。何か大蛇伝説の参考になるものでもないかと期待したのだが、無駄足だった。その両方とも、小さな神社であった。男神集落の入口に停めてある車まで戻ろうとしていると、近くにある小学校から鐘の音が響いてきた。腕時計を見ると5時5分。そろそろ帰る時刻だ。


 ところで、この地に残る伝説では雌雄の大蛇の仲むつまじい様子が語られているが、その昔、その麓の男神集落と女神集落に住む男女の間では、大蛇伝説のように恋愛や婚姻が盛んに行なわれていたのだろうか。茶畑のほとりで出会ったお年寄りにそのことを聞き忘れてしまったが、帰りの車中でそのことがいつまでも気になって仕方なかった。




                                              2010年2月23日