健康ハイキング!


  その昔、軽便鉄道の走っていたコースをサイクリング!(2月14日、日曜日)


 女子モーグル予選で、上村愛子選手が5位になったのを見てアパートを出発する。先週は雨の日が続いたが、今日は実に気持ち良く空は晴れ渡っている。いつまでもコタツの中でオリンピック中継を見ていたい気持ちはあったが、健康のためにと自分自身に言い聞かせて自転車をこぎだした。しかし、女子モーグルは上村人気一辺倒だが、里谷多英が今回のオリンピックに出場しているのにはビックリしてしまった。彼女は1998年の冬季長野オリンピックにおいてモーグルで金メダルを獲得し、その4年後のソルトレイクシティオリンピックでも銅メダルとなり、2大会連続してメダル獲得という輝かしい実績を残しているのだ。


 長野オリンピックの時の金メダル獲得のニュースには日本人すべてが熱狂し、私自身も彼女が金メダルとなった滑りをモニターで見るたびに熱くなったものである。この長野オリンピックには、確か上村愛子が高校生で初出場した大会だったと記憶している。2大会連続してのメダル獲得という素晴らしい実績がありながら、今回のオリンピックの扱いがあまりにも小さいのにはちょっと納得できないが、それほど上村選手に国民の期待が集まっているのだろう。それに、愛子スマイルが里谷選手の金メダルに匹敵するほどの価値があることを意味しているとも言える。里谷多英選手の金メダル獲得後の破天荒な生き方も、彼女の人気の陰りにかなり影響している。彼女は酒が入るとがらりと人格が変わるようで、破廉恥事件や暴行問題でたびたび新聞紙上を賑わせているのだ。結婚相手へのDV問題で離婚も経験している。


 
河童の伝説の残る筬川の向こう側に風車が見える。
 
軽便鉄道跡地を利用した自転車専用道路。


 暖かい室内で、オリンピック報道を観戦していたい未練を抱きながら自転車を走らせた。日中の気温は10度ぐらいまで上がると聞いていたので、いつもよりかいくらか薄着で出発していた。須々木海岸に出るまで2つの峠越えがあって、これが今日のサイクリングの最大の難関となる。最初の峠は何とかクリアできた。やがて、道の右手に5基の風車が見えてきた。太平洋側からの風を受けて、5基とも勢いよく回転している。中部電力も早く危険な原子力発電から撤退して、安全な火力や風力発電に切り替えてもらいたいものです。何が何でも原子力発電を続けていくと姿勢を取るだけでなく、もう少し謙虚になって市民の意見に耳を傾けたらどうでしょうか。


 2つ目の峠越えに差しかかった。息を切らせて坂道を上っていると、競輪選手が使用するようなサイクリング車に乗った私ぐらいの年齢の男性が、すぐ脇をスイスイと追い抜いて行ったのにはガックリしてしまった。私は愛用のママチャリに乗っていたのだ。消防署を少し過ぎたあたりで自転車を降り、峠のピークに到るまでの200メートル弱を押して行った。下り道は快調。逆三角形に切り取られた海が前方に望める。しかし、急激に空模様が怪しくなってきている。中止という思いが湧いてきたが、すでにここまで来たのだ。行ってみることにした。須々木の交差点の手前で自転車専用道路に入った。この道は、昔は軽便鉄道の駿遠線(すんえんせん)が走っていたと聞いている。駿遠線は、駿河の藤枝から地頭方を通って遠州の袋井までを結んでいた。


 
トンネルが見えてきました。
 
相良の町中にある史料館。


 田園の中の道をしばらく走っていると、トンネルが見えてきた。このトンネルも、駿遠線で利用されていたのだろう。想像していたよりかなり幅が狭い。内部は改装されているが、外観はレンガ造りの風情のあるトンネルでした。このトンネルは近所の人々の通り道として利用されていて、その上のあたりは「小堤山公園」になっている。トンネルを抜けると、そこは相良の町。商店街通りを通って、相良支所わきに建つ史料館に行ってみることにした。史料館の建つあたりは、江戸時代の中期に田沼意次(たぬまおきつぐ)が築いた城の本丸にあたるらしい。


 江戸幕府において権勢を欲しいままにしていた田沼意次の城らしく、萩間川のほとりに豪華絢爛な屋敷が建ち並んでいたことでしょう。しかし、やがて意次が失脚すると領地は取り上げられて天領となってしまった。汚職にまみれた田沼意次の痕跡を消すように、老中松平定信によって城郭は石垣まで徹底的に破壊されてしまった。でも、その40年後に意次の二男の田沼意正が1万石で返り咲き、以後3代続いて明治にいたった。意次の存命中の禄高は5万7千石だったから、5分の1以下の身代になったことになります。現在の相良は、「田沼様の城下町」として売り出しに力を入れている。史料館の入場料は210円。やはり、田沼家関係の展示品が大半を占めていた。


 
相良港。
 
相良港の近くに建つペンションや民宿。


 
寒々とした相良の海。
 
この自転車で行ってきました。


 国道150号線を渡って海岸道路を走りだした。相良海岸では、この寒空のもと荒海に入って海草を採集する地元の人がいるのには驚いてしまった。浜岡原発から排出される温排水によって浜辺に打ち寄せる海草が極端に少なくなっていると聞いているが、それでも季節になるとこうやって採集に訪れるのですね。かなり昔から、この浜辺で海草を採っているような年配のおばちゃんたちでした。売り物にするのだろうか、適当な大きさにして紐で縛っていました。相良港の付近には、伊豆半島や富士山の眺望が良いということで、別荘や民宿やペンションが数多く建っている。もちろんこのあたりは砂浜が延々と続いているので、夏にはきれいな海で泳ぎも楽しめます。


 
田園の中を、どこまでも伸びる自転車道。
 
勝間田川。


 相良を過ぎると、自転車専用道路は国道150号線の東側を走るようになった。専用道路を走るのに飽きると、突堤の上を走ったりした。このあたりも極めて風が強く、サーフィンをする連中が多く見受けられる。突堤の上の道は海が見渡せるので見えるので快適だが、サーファーの車が行く手を塞いでいたり、風に運ばれてきた砂が積もっているせいで走行を不可能にしているところが何ヵ所もあった。勝間田川の手前で専用道路は終わり、道は150号線に合流している。この先は海岸線からしだいに離れていき、雑踏する吉田の町に向かうだけだ。


 道を引き返すことにする。それに、雲行きがどんどん悪くなっていく。いつ雨が降ってもおかしくないような天候になってきたが、こんなところで降られたらたまったものではない。快調なペースで須々木の交差点まで引き返すと、更に自転車専用道路をたどって御前崎方面に向かった。これは、最初から計画していたことだった。軽便鉄道の走っていたコースをたどり、御前崎を回って旧浜岡町の佐倉まで帰ろうと考えていたのだ。山裾の道をしばらく走っていると、「落合」という駅名表示が見えてきた。新しいもののように見えたから、おそらく復刻版なのだろう。さらに行くと「地頭方」の駅名表示とともに説明書きの看板が立っていたが、それによると、この駿遠線は大正2年から運行を始め、昭和45年7月に全線廃止になったと書かれてあった。


 
ここが軽便鉄道の「落合駅」のあったあたり。
 
「地頭方」駅はこの付近にあった?

 


 地頭方を過ぎると専用道路は怪しくなり、道は終わってしまったのかいつの間にか見失ってしまった。仕方なく一般道路を走ったのだが、走っている間にすっかり暗くなり、アパートに戻りついたのは6時過ぎであった。午後1時過ぎに出発したから、5時間走り回っていたことになる。途中コンビニで購入したパンを突堤で食べたり、相良では史料館を見物したから、実際に走っていたのは4時間余りだろうか。よく頑張ったものだ。太腿がパンパンになっている。戻りついて地図上でだいたいの距離を測ったが、35キロ余りという距離数が出た。4時間余りで35キロを走ったことになる。この次は、このコースを徒歩でたどってみようと計画している。新たな目標ができたので、まだ当分病なんかに負けるわけにはいかない。




                                              2010年2月15日