健康ハイキング!


  横須賀城跡(2月6日土曜日)


 灯台周辺と油田の里を歩いた翌日は、大須賀にある横須賀城跡に行くことにしました。この日は、写真を見てもわかるように空は青々と晴れ渡っているのだが、昨日に増して北風の強い寒い一日であった。自宅から40分ほどで大須賀に到着。町中の空地に車を駐車すると、町の西のはずれにある城跡に向かった。途中、城下町の面影を残す古い民家や商家をカメラに収めようと考えていたのだが、古い建物を発見する前に城跡に到着してしまった。真冬の城跡に人影はなかった。


 
大手門わきにある三日月堀。
 
 横須賀城の大手口、全国的に珍しい玉石積みの石垣。


 横須賀城は幕末まで続いた城である。この城は、武田に奪われた高天神城攻略のために、徳川家康が大須賀康高に命じて天正6年(1578年)に築かれた。初期の頃には砦としての役割りを果たしていたようだが、江戸時代に入ると高天神城攻めに功績のあった大須賀康高が入城し、城域を広げたり堀を深くし石垣を新たに積み上げて城としての体裁を整えた。築城当時の古地図を見ると、城のすぐ南側には遠州灘が深く入り込んだ入江になっていて天然の要害をなしていたようだが、江戸時代中期(1707年)の宝永大地震による地盤隆起によって干上がってしまい、海岸線はおよそ2キロ南に後退したのだという。


 
大手口から城の中心部である本丸に向かう道。
 
本丸跡。ここには3層4階の天守閣が建っていたという。


 この城は大須賀氏から渡瀬氏、そして豊臣譜代の有馬氏などが城主となったが、江戸中期から西尾氏8代が続いて明治に至った。明治元年(1868年)に西尾氏は、明治維新の激動のなか安房国花房(現千葉県鴨川市)に移され、横須賀藩領は徳川家達(いえさと)の領地となって静岡藩に組み込まれてしまった。廃藩置県直後の明治2年には横須賀城も廃城の憂き目となったのだが、この時に8代続いた西尾氏が城主であったなら、もっと良好な形で城跡は残されていたのではと思うと残念でならない。


 結局この歴史ある城は明治6年に、城内の土地、建物、石垣、立木まですべて民間に払い下げられ、塀などは取り壊され堀も埋め立てられて城としての景観を失ってしまった。更に、昭和46年には本丸一帯を宅地化する計画が持ち上がったのだが、この城跡消滅の危機に地域住民から保存の声が上がり、石垣用の玉石提供に町民も積極的に参加している。石垣の玉石は天竜川から集められた。そして、その10年後の昭和56年には念願だった国の史跡に指定されることになったのです。それ以後、土地の公有化と遺構復元整備や発掘調査などが進められて、史跡公園として人々に親しまれるようになった。


 
本丸跡地にある、城跡復元模型。


 城跡の東北角に位置する松尾山と呼ばれている小丘に上ってみることにした。大手口から西の丸に向かう途中には、「お姫さま」と書かれた小さなお社があったのだが、昔、この城に住んでいたお姫様を祀っているのでしょうか。謂れを知りたいと思ったが、どこにも説明書きは見あたらなかった。西の丸では、この寒空のもとでお年寄りがゲートボールを楽しんでいました。彼らの邪魔にならないように端を通って松尾山に向かった。ここは、戦国期に砦の築かれた時には本丸とされていたそうだが、そのことは松尾山に上ってみたら良くわかります。背後の空堀の遺構も良好な状態で保存されていて、もっとも昔の状態で残っているのはここだけではないかと思ったものでした。城好きの人ならぜひここまで足を延ばしてみるべきです。



茶畑の向こう側が松尾山。 
 
松尾山の麓に残されている空堀


 城の遺構、それも戦国期の城跡を訪ねるのが大の趣味なので、ついつい説明が長くなってしまった。横須賀城を後にして、三熊野神社まで歩いて行ってみることにした。武家屋敷は無理としても、せめて商家でもと目を丸くして捜したのだが、どこまで行っても見あたらない。東西に細長い町並みをたどりながら半ば諦めていたら、目的地である三熊野神社付近でいくつかの古い商家を捜しだすことができた。2軒とも酒屋さんのようでした。そのあと三熊野神社の境内を散策したのですが、この神社は700年代に文武天皇によって創建され、熊野信仰などを背景に住民たちの信仰を集めたというようなことが案内板に記入されていました。


 
こちらの店も酒屋さんのようでした。
 
店の前に、酒樽が積み重ねられている。

 この他にも大須賀の町中には清水家の庭園がある。清水家は元禄時代から続く回船問屋で、四季の花々が美しい回遊式の庭園が有名だと聞いています。それから、掛川市大須賀支所の駐車場の一角には江戸時代の町番所の建物が移築されて残っているし、海岸近くの松林の中には遠州七不思議のひとつに数えられている「清明塚」があります。




                                               2010年2月11日