健康ハイキング!


  御前崎灯台周辺(2月5日金曜日)


 健康ハイキング第2弾は、御前崎灯台の近くを歩くことにしました。灯台周辺は御前崎遠州灘県立自然公園に指定されています。昼過ぎに自宅を出発した。今日は北風が強く吹きつのっているが天気は良く、前回のような降雨の心配はまったくなかった。150号線から景色の良い海岸道路に入り、灯台下にある無料駐車場に車を止めてコンクリートの階段を上って行った。階段の途中には、観光客の通行の邪魔にならないように海のりが干されていたが、のどかさを感じさせとても風情のある光景を醸しだしていました。入口で200円払って灯台に登った。螺旋階段は極端に細い。途中で下りて来る若いアベックとすれ違ったのだが、すれ違うのがやっとの幅しかない。灯台からの見晴らしは素晴らしく、遠く雪化粧をした富士山や伊豆半島を望むことができました。


 
御前崎灯台。
 
富士山がくっきりと望めました。

 この灯台は、日没から午後10時までライトアップしているそうです。灯台を出たあとは、岬の遊歩道をたどることにした。灯台と民宿の駐車場との間に細い散歩道が伸びているのだが、わかりにくくて観光客が気づかない場合もあるのではと心配したものでした。遊歩道を少し行くと、「椿の休憩所」という場所に至った。休憩所の説明板によるとヤブ椿という種類がこの岬に広く自生していて、椿は御前崎市の木に制定されていると記入されていた。その他にも、「つわぶき」や「スカシ百合」や「ハマヒルガオ」などが自生しているそうです。春や秋に訪れたら、季節の花々が目を楽しませてくれることでしょう。


 
まさに絶景。
 
ねずみ塚。

 更に小道をたどると、「ねずみ塚」が建っている広場に出た。御前崎に残る伝説によると、その昔、遍照院というお寺の住職が板切れに乗って波間を漂っている子猫を助け、お寺で飼うようになった。それから10年ほど経って、1人の旅の僧が遍照院に一夜の宿を借りることになった。その夜、本堂の天井裏では激しく争う物音が一晩中続き、翌朝住職が村の男衆に頼んで天井裏の様子を調べてもらうと、遍照院で飼っている猫と犬ほどの大きさの化け物ねずみが血だらけになって息絶えていた。大ネズミが旅の僧に化けて住職を食い殺そうとしていたのを、そのたくらみを知った猫が身を挺して住職を守ったのであった。


 住職の恩に報いた猫は丁重に葬られた。大ネズミのほうは、数名の村の衆が四つ足を乱暴に握って断崖から海に投げ捨てようとして運ばれていたが、ネズミの死骸は断崖に到着する前に急に重くなり、仕方なくヤブの中に放置して村の衆は帰って行った。その場所が、現在「ネズミ塚」の建っている付近だと言うのだ。ネズミの死骸は放置されたままになっていたが、それから数日して住職の夢枕に大ネズミが現われ、きちんと葬ってくれたらそのお礼として、「日々の海上の安全と大漁の約束をする」と告げたのでした。住職は夢のお告げの通りに、ネズミをていねいに葬ったそうです。ネズミ塚の建っている広場はよく整備されていて、景観も最高です。


 
絶景ポイントに築かれた遊歩道です。
 
「夕日が見えるん台」と名づけられた展望台。

 遊歩道をしばらくたどって行くと、「夕日が見えるん台」という展望台に出ました。展望台の中央に「潮騒の像」と名づけられた女性像が、鳥の止まった左手を頭上に掲げて水平線の彼方を見つめている。ここが遊歩道の終点のようで、ここから先には道は伸びていないようでした。この場所は180度の眺望が可能で、女性像のちょうど真後ろあたりに夕日が沈むそうです。まさに恋人たちの展望台と呼んでも良いような絶景地で、夕暮れ時にここに恋人を連れてくれば、2人の気持ちが盛り上がること間違いないでしょう。


 
駒形神社。
 
ねこ塚。


 遊歩道を引き返して灯台まで戻ると、その次に「駒形神社」に向かった。駒形神社の近くに、住職の命を助けるために大ネズミと死闘を繰り広げた猫を葬った「猫塚」が建っている。畑の中にぽつんと塚が建っていて、どうかすると見落としてしまいそうになります。そこは遍照院のあった場所とのことでしたが、敵役だった大ネズミが手厚く葬られ、住職の恩に報いた猫のほうが粗末に扱われているような印象を受けたものでした。



  相良油田の里公園


 灯台下に停めていた車まで戻ったのだが、まだ時間が早いので20キロほど離れた「相良油田の里公園」まで行ってみることにした。やはりハイキングと名うっている以上、最低8キロぐらいは歩きたいものです。30分ほどで到着する予定だったが、道に迷いかなり遠回りをしたせいで1時間あまりかかってしまった。相良油田は、明治時代から昭和にかけての約80年間、実際に石油の採掘がされていたそうです。アラブの油田は砂漠地帯にあるが、ここの油田は緑豊かな牧の原台地の丘陵地帯の中にありました。その谷間一帯が油田の里として整備されていて、園内にはその当時の手掘り井戸の小屋などが復元されている。園内を見て回る前に資料館に入ることにした。


 
復元された石油採掘の小屋です。
 
右側の人は、坑内に空気を送り込んでいる。

 相良油田は、太平洋側唯一の油田跡地だとのことでした。明治5年(1872年)に発見され、明治17年頃の最盛期には原油生産額4000石(ドラム缶約3600本)が産出され、油田で働く労働者は600人に及んでいたそうです。ここでの作業はたいへんに過酷だったため、労働者の日給は12銭から30銭という高給が支払われ、そのため油田坑夫めあての店が周辺に建ち並びたいそう賑わっていたそうです。その時の様子を資料館に展示している絵によって知ることができます。静岡刑務所の受刑者が働いていたという記録も残っている。


 明治5年から始まった採掘は第二次世界大戦後も続けられていたが、その後徐々に石油は取れなくなり、昭和30年(1955年)頃に事業は終わりを告げ、次々と井戸は取り壊されていった。しかし、すべての坑が壊されたのではなく、現在でも採掘できる石油坑が1ヵ所だけ残されている。今年(2010年)の5月9日には、その石油坑で原油の汲み上げの実演が行なわれるとのことでした。汲み上げの実演が行なわれる時刻は午前11時からで、12時頃には無精製原油でバイクを実際に走らせてみるそうです。相良油田の原油は赤褐色で透き通っており、アラブ諸国やアメリカなどで産出されるものに比較して極めて良質であるということが、資料館で展示している資料で知ることができます。


 
石油採掘跡地は公園として整備されている。
 
相良油田最後の石油坑。

 県道242号線を通って浜岡への帰り道に、茶畑のほとりに無人の販売所があってミカンが売られていた。一度行き過ぎたのだが、思い直しUターンして引き返し、ミカンを2袋購入した。販売所には、「見た目は悪いが味のほうは申し分なし!」と書かれていたがその通りで、大きさも手頃で味は甘くて最高であった。1袋100円だったが、スーパーで買った場合には250円から300円ぐらいはおそらくするだろう。この道を再び通ることがあれば、またぜひ購入したいと思ったものでした。




                                                2010年2月7日