浜岡原発は本当に大丈夫なのか?      浜岡原発のある御前崎市から発信しています
                                            since 2009年5月19日 更新2016年6月11日

  豚小屋よりも軟弱な浜岡5号機


 中部電力は6月7日、停止していた5号機について、原子力規制委員会に対し再稼働に必要な申請を行なう方針を示した。それを受けてマスコミは、東日本大震災後に5号機の配管が壊れ、約400トンの海水が原子炉などに入り、その結果、計器などにさびが見つかったという問題を盛んに取り上げている。「世界的にも異例のトラブルを経て再稼働する」としているが、最も注目しなければいけないことは、5号機の地盤の軟弱さではないだろうか。


 
海側から見た浜岡原発5号機の原子炉建屋  2013年6月


 平成21年(2009)8月11日、マグニチュード6・5の「駿河湾地震」が発生した。僕が住んでいる築30年のボロアパートは地震の脅威に立派に耐えてくれたが、南へ直線にして700メートルほどしか離れていない浜岡原発は、大変なことになっていた。特に、もっとも新しい5号機が異常な震動に見舞われ、かなりの被害を受けたのだった。

 中電の発表によると、1、2号機、109ガル、3号機、147ガル、4号機、163ガル、そして5号機は、1、2号機の4倍を超える488ガルという信じられないような数値を計測したのだった。ガルとは、地震による地盤や建物の揺れの大きさを表し、数値が大きいほど揺れも大きいことを示している。中電は常日頃から、「原発は岩盤に直接設置しているから、揺れは地表の半分以下」と豪語していたが、5号機に限っていえば、地表以上の揺れに見舞われたことになる。

 駿河湾地震からしばらく経ってから、5号機の地下数百メートルに、「低速度層」という揺れを増幅させる地層があることを発表した。低速度層とは中電の造語である。だが、わざわざ低速度層という造語をもちいなくても、「5号機の土地は元々湿地帯だったから、特に地盤が弱い」と説明するだけで充分なのではないだろうか。土地の人の話によると、5号機の建っているあたりには小さな沼や池がいくつもあったのだという。


 5号機の真下に揺れを増幅させる爆弾並みに危険な地層の存在を認めながら、ほとんど対策を講じることなく中電は、「東海地震の耐震安全性は確保される」という報告書を提出して運転再開にもっていこうとした。けれども、地震学者や地質学者などの専門家のメンバーで構成されている原子力安全・保安院の合同ワーキンググループは、安全性に不安があるとして運転再開を認めなかった。

 危険すぎる原子炉として、5号機は永遠に封印してくれたらと願っていたのだが、約1年半後の平成23年(2011)1月15日、御前崎市郊外にある新野公民館において「5号機耐震安全性に関する市民説明会」が開催され、一転して「駿河湾の地震を踏まえても、東海地震に対する耐震安全性に支障なし」という国と原子力安全・保安院の見解が示され、その10日後の1月25日に地元住民たちの怒号と悲鳴の中で5号機は再稼動した。

 だが、そのわずか50日余りのち、呪われた浜岡5号機の前に再び大きな壁が立ちはだかった。3月11日、驚天動地の東日本大震災が発生し、福島第一原発の老朽原子炉4基が、レベル7というチェルノブイリ原発と同レベルの原発震災を引き起こしたのだった。安全だと信じられていた日本の原発は、巨大地震によって簡単に破壊されるものだということを、国民の大多数が知ることになった。

 そのあと、「30年以内に、マグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%」と具体的な数字を示し、事故から2ヵ月近く経過した5月6日、民主党の菅直人首相は中電に対して浜岡原発のすべての原子炉を停止するように要請した。その要請を受けて、5月13日に4号機、翌日の14日には5号機が運転停止した。3号機は定検工事で停止中だったし、1号機と2号機はすでに廃炉が決定していた。


 


 駿河湾地震による5号機の被害状況はというと、地震の数日後に目にした中電のホームページには、「地震発生による浜岡原子力発電所の主なプラント状況」というのが掲載されていて、そこには機器破損などの問題箇所は33ヵ所だったと記載されていた。それから、1、2号機は13件であり、3号機は4件、建設時にコンクリート骨材のデータが捏造(ねつぞう)され、建屋の強度に問題があると言われている4号機では、16ヵ所の破損ヵ所や機器の故障などが記録されている。


 この記事は現在でも閲覧(えつらん)することができる。だが地震直後の内容は、いつの間にか大きく変更されている。事故の状況をさらにわかりにくく、そして被害自体も過小に書き改められているのだ。ネガティブな情報は少しでも隠したいということなのだろう。この姑息さは、いかにも中電らしい。


 5号機の営業運転開始は、2005年1月18日だから、今年で11年目になる。その5号機よりも先に再稼働申請した4号機の運転開始は1993年9月3日。そして3号機は1987年8月28日だから、来年で30年ということになる。もっとも新しい5号機を後回しにして、建屋の強度に問題のある4号機や、3号機のような老朽原子炉を先に申請したのは、事故で海水が原子炉内に流れ込んだせいだけではない。5号機は地盤が極端に弱い、危険な原子炉だからである。

 「つっかい棒でやっと立っとる豚小屋さえも倒りゃせなんだのに、5号機はガタガタになってしもうた」と吐き捨てるようにつぶやいたのは、元浜岡町議のIさんである。溝上(みぞうえ)東大名誉教授は、「今回の地震は、マグニチュード8クラスとされる東海地震の100分の1の規模しかない」というコメントを新聞に載せている。
溝上教授は地震学者である。もし100倍の規模の地震が襲いかかれば、間違いなく欠陥5号機は破壊される。それでも再稼働させるというのなら、これは犯罪である。


 5号機の地下には軟弱な地盤が横たわっている。だが、もろいのは5号機だけでなく、砂丘に築かれた浜岡原発に固い岩盤などどこを探してもない。原子炉建屋など重要な施設は強固な岩盤に支えられているのが原則のはずだが、このあたりには相良層という砂岩と泥岩のきわめて軟弱な地層しかない。


 つまり中電の言う固い岩盤とは、指でボロボロと砕けるもろさなのである。指でたやすく砕ける軟弱さを自分の目で確認したければ、東日本大震災後に津波対策として築かれた防波壁の基礎の土砂が、浜岡原発の東側の海岸付近に数ヵ所にわけて山積みされている。それを目にし手に取ってもらえば、いかに敷地内の地盤が軟弱かわかってもらえるはずである。


 「浜岡に原発をつくることは、地雷原でダンスを踊るようなものだ」と警告を発した地震学者がいる。泥岩砂岩の劣悪な地盤に加え、恐ろしいことに浜岡原発は東海地震の震源域の真上に建っているのだから、ぴったりの表現ということになる。 地盤の弱い原発が、巨大地震の震源域に建っているのである。これ以上の怪談話はない。


 世界一危険な原発の再稼動は阻止しなければいけない。もし4号機が再稼動ということになれば、ポンコツ3号機稼動の道筋をつくることになり、そのつぎは5号機ということになる。5号機が動くことになれば、この国は終わりである。亡国である。


                                    (2016年6月11日)

 


  私は、浜岡原子力発電所で働いています

 3・11後、中部電力は自粛していた浜岡原発関連のテレビCMを盛んに流すようになった。「普及開発関係費」と呼ばれている宣伝費は、福島第一原発の原発震災前年の2010年度は約80億円だったが、15年度は74億円と、震災前の広告宣伝費に迫っている。

 浜岡原発のイメージアップをはかったものや、好感度を重視した内容で、「私は、浜岡原子力発電所で働いています」というキャッチフレーズのCMでは、社員を積極的にテレビ画面に登場させている。

 住んでいる御前崎市から東海道本線の最寄り駅である「菊川駅」に向かうバスの車中に、この「私は、浜岡原子力発電所で働いています」のポスターが貼ってあり、その内容に違和感を抱いたので書き留めて置いた。短いので全文を載せることにする。

 
中部電力のホームページより

 「災害は時を選ばない。『たとえ真夜中でも、この場所を守る』という強い決意であらゆる状況を想定し、技術力を高めていく。いち早く現場に駆けつけ、対応するために、復旧班のひとりとして、そして技術者のひとりとして、現場に精通し、頼りにされる存在になるために、今日も、訓練に向き合っています」

 確かに災害は時を選ばない。災害はいつ襲いかかるかわからない。わかっているのは、災害時に中電社員は役に立たないということだけである。

 浜岡原発では約3千人が働いている。そのうち中電社員は720人ほどで、全体の約4分の1を占めている。僕が浜岡原発で働いていた平成15年(2003)〜平成20年当時、この4分の1が放射線エリアに立ち入るのは、年に1、2回程度だった。

 事故が発生すると、あたり前の話だが、放射能渦巻く現場に飛び込んで対応しなければならない。だが、現場作業の経験がない中電社員では、まったく戦力にならないだろう。たとえシミュレーションを千回行なっても、けっして現場に精通することはできない。

 中電のホームページをひらいても、「訓練に向き合い、いざという時のために、技術を磨くことが仕事です」「設備ひとつひとつ、部品ひとつひとつの声を聞く仕事です」「放射線と向き合い、毎日、見つめ続ける仕事です」・・・・立派な文句が躍っている。

 だが、放射能渦巻く過酷な現場に彼らはいち早く駆けつけないだろうし、もし駆けつけても、現場を知らない社員にうろちょろされても邪魔なだけである。本当に原発を支えているのは、電力会社の社員ではない。下請け労働者である。

 

 左のような社員の姿は、
   一度も目にしたことがない。
 


                                       (2016年5月19日)

 


  浜岡原発、30キロ圏、再稼動賛成なし

 中部電力浜岡原発、30キロ県内の11市町の全首長と川勝平太知事が、再稼動に賛成の意思を示していないことが毎日新聞のアンケートでわかった。3首長が反対し、4首長が再稼働の前提条件として東京電力福島第一原発事故の収束など高いハードルを課した。

 反対したのは、牧之原市の西原茂樹市長、島田市の染谷絹代市長、吉田町の田村典彦町長の3人。西原市長は「事故発生で国家存亡の危険がある」、染谷市長は「避難計画の確実性も伴っていない」、田村町長は安全が確保できない」と述べた。浜岡原発のお膝元である御前崎市の柳澤重夫市長は、「安全審査が継続中なので、判断できない」と回答した。

 柳沢御前崎市長は判断できないと述べているが、彼は今期限りで引退した石原茂雄前市長と肩を並べるほどの推進派で、「原子力対策特別委員長」の要職に就いていた議員時代には5名の同僚議員を引き連れ、国に浜岡原発の早期再稼働の陳情に赴いている。

 昨年の7月28日のことである。原子力規制委員会の判断もまだだというのに・・・・。

毎日新聞の記事

 


  原発関連工事を受注 御前崎市正副議長の親族企業

 中部電力浜岡原発が立地する御前崎市で2010年からの5年間に、同市議会の増田雅伸議長(60)の実兄が経営する建設会社が、原発関連工事を少なくとも約3億4900万円分受注していたことがわかった。

 若杉泰彦副議長(67)の実兄が社長を務める建設会社も、少なくとも約7億900万円分受注していたことが判明。浜岡原発は14日に停止5年を迎えるが、その間進められた安全性向上工事などによる「中電マネー」が地元政治家の関係する企業に流れていた。(5月13日、中日新聞の記事より)

記事全文

 


  浜岡住民組織に30億円

 中部電力が浜岡原発1〜4号機を建設するのに伴い、地元の住民組織に総額30億7900万円余りが渡っていたことを示す文書が見つかった。組織の代表者を務めた男性(故人)の自筆メモで、関係者から提供を受けた一連の資料とともに、立教大共生社会研究センターが10日、公開を始めた。(5月11日、中日新聞の記事より)

記事全文

 組織とは、中電との交渉窓口として1968年に発足した「佐倉地区原子力対策協議会(佐対協)」のことで、地権者の利益を守るために発足された組織である。男性とは、旧浜岡町議の鴨川源吉氏のこと。鴨川氏は、3、4号機を受け入れた1978年から90年の間会長を務めている。

 佐対協の役員数名が名古屋にある中電本店に赴き、スーツケースに入った札束を受け取り、持ち帰ったという話が地元に伝わっている。中電の大盤振る舞いは原子炉増設のたびに繰り返され、新聞記事によると3号機増設の際には、協力金という名目で19億円余りの大金が佐対協に渡されている。佐対協の金庫には、現在でも20億円以上の大金が収められていると噂されている。

 


  4月10日の御前崎市長選は、僅差で柳沢重夫が初当選

 市長選の結果は、柳沢重夫(69)9884  曽根正浩(54)8828

 投票率は、72・90%。これは過去最低で、4年前の市長選のときは76・69%だった。両候補とも原発推進の立場を明確にしており、浜岡原発の再稼働の是非が争点にならなかったことが、過去最低の投票率につながったと見られている。

 それから、石原茂雄市長から後継指名を受けた柳沢氏の圧勝と思われていたが、蓋を開けてみると、わずか千票差という僅差だった。接戦を予感させるように4月3日の出陣式のときには、曽根正浩候補の演説を聴きに約1200名もの人々が集まり、柳沢重夫の出陣式会場には1000名ほどしか顔を出していなかった。

 しかし、100を超える企業・団体からの推薦に加え、地元国会議員や連合静岡の支援を受け、選挙戦を優位に進めた柳沢候補の勝利となった。個人票ではあきらかに曽根氏のほうが勝っていたが、組織票によって市長の椅子を獲得したことになる。


静岡新聞の記事


 


  浜岡原発のお膝元の御前崎市では、交付金はどのように使われているのか?
    その実態に迫る!

 原子力発電所の立地する自治体に毎年支払われる交付金。いわゆる電源三法(「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」の総称)交付金は、1974年6月に成立。2003年10月に改正されて現在は、「電源立地地域対策交付金」(以下、交付金)と呼ばれている。電力会社が販売電力量に応じて、国に納付した税(電源開発促進税)のうちの数%が財源になっているのである。ただし、この税金は最終的に電気料金に上乗せされて消費者が支払うことになっている。

 交付金の役割りとは、「地域振興」「町の活性化」といった甘いアメを目の前にちらつかせ、国策である原発を地方の自治体に誘致してもらい、誘致後は自治体の住民に、「原発を誘致してよかった」と思わせることにある。御前崎市の前身である浜岡町も、過疎化に歯止めをかけるために中部電力の原発を受け入れた。その結果、遠州灘に面した人口3万6千人の小さな市が受け取る金額は、2011年度の一般会計予算約168億円のうち、原発関連の交付金や固定資産税は総額70億円余りに上る。実に、40%以上が原発マネーである。

 住民の生命と引き換えに支給された交付金が、浜岡原発の立地する御前崎市でどのような使われ方をしているのか。市から「電源立地促進対策交付金事業一覧表」を入手し調べてみた。道路や陸上競技場、野球場などのスポーツ施設、それに学校や総合病院などのインフラ整備に多く使われているのは予想通りだった。役所関係の受注工事が割高なのは、全国の自治体に共通する現象だが、どう考えても多分に水増しされているとしか思えないものがかなりある。

 
原発立地交付金で建てられた豪華なハコモノ、すいすいパーク「ぷるる」

 御前崎市にある建物で、交付金が投入されたもののうち最も目につくハコモノは、すいすいパーク「ぷるる」である。この豪華な保養施設には、室内用と夏場だけ利用できるプールの他にトレーニングルール、それにサウナや露天風呂を備えた入浴設備まで完備されている。「ぷるる」は、浜岡原発4号機建設直後の1998年に完成している。交付金事業一覧表によると、総事業費23億7724万円のうち、交付金が11億1799万円使われている。事業費23億円強は、この施設の外観を見てもそれほど割高ではない。順当な額と思っていたが、実際の建設費は43億円だったという噂が市民の間でひそかに囁かれていた。建設当時、町会議員だった人物に聞いてみると、「確か、35億円ほどで建てられたはずだが・・・・」と記憶していた。

 いずれにしても、市役所の記録とあまりにも差がありすぎる。市の担当者にその点を問い詰めると、「交付金事業一覧表」にはからくりがあった。一覧表に記載されているのは、工事費を含むすべての総事業費だと考えるのが常識的なのだが、実際には建物にかかった金額だけが記載されていたのだった。総工事費がいくらなのか、さらに追求したところ、うんざりした顔つきの市の担当者から、落成式のときに出席者に配布されたパンフレットがファックスで送られてきた。それによると、総工事費は42億7000万円であった。元議員の記憶よりも、工事人から直接聞いたという地元の人の話が正しかったのだ。

 パンフレットを目にして、すぐに不自然だと感じた個所があった。「用地補償費」として支払われた4億7247万円という金額だった。上の写真を見てもわかるように、低い山の斜面を整地して「ぷるる」は築かれている。敷地の大半は御前崎市の所有地だが、麓付近には個人所有の田畑もあったらしい。その土地の代価として支払われたのだろうが、あまりにも高額すぎる。

 地元の不動産屋に電話で聞いてみると、「市内の農地は、坪5000円程度で取り引きされている」のだと言う。「ぷるる」の敷地面積は6万6500平方メートルだから、坪に換算すると2万坪余り。もし仮に、敷地面積の半分を5000円で購入したとすると、用地補償費は約5037万円。支払われた金額とは、一桁違うのだ。それに、坪5000円は平坦な農地に対しての値段であって、市街地から大きく外れた斜面の土地だと、当然もっと安くなる。

 「4億7000万円も出しゃ、このあたりの山林すべて買えるズラ」とあきれ顔で言ったのは、一緒に「ぷるる」の土地を見に行った元議員の弁であった。単純計算でも、御前崎市は山間の土地を、相場の10倍以上の値段で買ったことになる。交付金というアブク銭を議員や行政が、どれほど自分たちの都合のよいように使っているか、事実の断片を垣間見た思いであった。御前崎市とすれば、打ち出の小槌から出てきたようなあぶく銭かも知れないが、元々は国民の税金なのだ。地権者の数や、どれだけの農地をいくらで購入したのか市にさらに追求したが、回答はなかった。


                                           下につづく


 


 地元議員との癒着で歪められる交付金の使途 


 地元議員がらみではこんな問題もあった。御前崎市の公民館数は21ヵ所だが、2007年、僕が住む佐倉地区の公民館が建て替えられることになった。それに敷地が手狭だということで移転話が持ち上がり、「佐倉公民館建設委員会」が設置され、どこに建設したらよいか市民を対象にしたアンケートで決めることになった。工事費4億954万円のうち、投入された交付金の額は3億円。翌年の2008年10月、1300坪ほどの敷地に写真のような公民館が完成したのだが、これもかなり割高なハコモノである。


 


 このとき、建設委員会の委員に選ばれたのは、佐倉地区選出の御前崎市議2人と地区の町内会長4人の、計6名。候補地は4ヵ所。アンケートの結果、最も人気があったのは「佐倉自然公園」の北側に建設する案だった。自然公園の近くなら、佐倉地区のほぼ中心部で場所的にも最適な上に、御前崎市所有も土地だったので土地代がかからないという利点があった。当然、その案で決定だろうと佐倉地区の住民の多くが思っていたのだが、建設直前になって突然、建設地が変更になった。それも、ある人物の独断で・・・・。


 その人物とは、当時3期目のY市議であり、佐倉公民館建設委員会の委員長という立場だった。もう1人の市議が、「それはおかしい。市民のアンケート結果を無視するのですか?」と問い詰めると、その翌日には委員の役職を解任されたのだという。その結果、市民の声と民主主義をないがしろにして、4ヵ所のうち最も人気のなかった候補地が建設地として選ばれたのである。その場所とは、元浜岡町長だった人物が所有する土地であり、おまけに反則ワザを使ったY市議の仲人だった。


 1人の議員の横暴なやり方によって、市は必要のなかった3670万円の土地代まで支払うことになった。工事費は約1億円の予算オーバーだったらしいが、土地代がかからなければもっと安く建ったのである。御前崎市民はもっと憤ってもよいだろう。


 御前崎市役所に行き、市民アンケートの結果を無視した公民館建設の問題について石原市長のコメントをもらおうと考えたのだが、生憎、市長は公務で出張中。代わりに澤入副市長に話を聞いたのだが、「事実関係がわからないので、答えられない」の一点張りだった。直接、Y市議に話を聞こうとしたが連絡が取れず、彼の近い議員が教えてくれたところでは、「佐倉公民館の建設予定地を変更した理由は、自然公園の付近では大型バスが入れないから適所ではない」と語っていたとのことだった。確かに自然公園に入る道幅は狭いが、バスの進入が困難な狭さではない。


 
これが8200万円の滑り台
 
送電鉄塔に並んで、鉄製の鳥居が建っている

 この他にも、原発の町御前崎市には交付金で造られたものがたくさんある。長さ150メートル、工事費8200万円の滑り台や、高さ21・5メートル、工事費1億2000万円という池宮神社の大鳥居(これは交付金ではなく、5号機増設の見返りとして中電の協力金で建てられた)など、記すのも恥ずかしくなるガラクタが続く。それに、やはり立地交付金で建てられた「御前崎市立総合病院」は、設備は立派過ぎるぐらい立派なのだが放射能被害を怖れて優秀な医師が集まらず、地元民も傷の治療とか腹が痛いとか簡単な病気の場合しか利用しないので万年赤字状態である。赤字でありながら経理は相当にズサンらしく、常にきな臭い匂いが漂っている、悪い噂の絶えない伏魔殿だった。


 市の交付金事業一覧表を改めて眺めると、件数も金額も群を抜いて多いのが、市道や農道の整備事業である。浜岡原発を誘致した初期の頃なら、道路工事などのインフラ整備が多いのはわかるのだが、もう充分だと思われる現在だって絶えず掘り返し、拡張工事などを行なっているだ。他の地域から訪れた人々がよく口にするのは、御前崎市の道路の立派さである。今回の取材中、市役所に足を運んだときに、「もう必要ないのでは・・・・」と言うと、「市民の要望があるので」との返答。市民の要望というよりも、16名の市議のうちの5名を占める土木関係者の要望ではないのだろうか。それほど、市内の土木建設関係の業者は交付金事業で潤っているのだ。


 こうした交付金の使途について、前述の澤入副市長に「道路整備を含めた土建業者が潤うだけの使い方が、交付金の正しい使い道ではないでしょう?」と尋ねたところ、「浜岡原発は停止の要請を受け、いつ稼動するか見通しのつかない状態です。今後は交付金もかなり減額されるだろうから、道路整備費などはかなり制限されることになると思います。「ぷるる」や図書館、スポーツ施設や各地区の公民館などに莫大な維持費がかかるので、そちらに回すだけで精いっぱいですよ」という返答が戻ってきた。


                                           下につづく

 


 市民オンブズマンで監視を 


 
御前崎市役所
 今回、浜岡原発の立地する御前崎市で交付金はどう使われているのか追っかけてみて、痛切に感じたのが「市民オンブズマン」の必要性だった。首を傾げたくなる金額が記載されていた「ぷるる」の用地補償費の内訳も、オンブズマンを設置すれば堂々と開示請求を求めることができるのである。 

 中部電力に対しても質問した。
「今後も地元への協力金は、委員会や協議会を通して支払う形になるのですか? 中電と地元議員との癒着は、地元でも知らない人がいないほどなのに」と。16人いる御前崎市議のうち、原発推進派及び容認派の議員は15名。残りの1名の反対派は共産党議員だった。推進派と反対派の力関係において、片方がなんらかの形で優遇されていなければ、これほど不自然な数字が生じるはずがない。それに浜岡原発の所長か、あるいはそれに近い人物が、「市議の身内か、市議の息のかかった業者を優先的に使うように」と述べたという話が伝わっている。


 ところで、中部電力への質問に対して浜岡原発総務部の高田副長は、「うちの会社は民間企業ですから、そこまでお答えする必要はないと思うのです」とにべもない。「交付金分は我々の電力料金に上乗せされているんですよ。しかも民間企業と言っても、国民の命を奪い、国を危うくするような危険な事業を行なっているのですから、この程度の質問には答えてもらいたいのですが・・・・」と重ねて尋ねると、電話を切られてしまった。


 多額の交付金は、万が一の事故が起きたときのために貯えておくべきではないか、という意見が最近聞こえるようになったが、それでは原発の立地する自治体の住民は納得しないだろう。なぜなら、原発がある町の住民たちは、交付金を迷惑料と捉えているからである。今回の福島第一原発での震災事故のように、放射能被害があったときにまっ先に犠牲になるのは、原発の立地する自治体の住民たちである。だから、最初から事故を想定して交付金をその対策費に充てるというのでは、住民の理解が得られるわけがないのである。


 国策として保護されてきた原発も、福島での未曾有の大事故以後、国民の風当たりは当然のように強くなった。それとともに、政府も原発を放射能を撒き散らすきわめて危険な存在として忌避するようになった。御前崎市の澤入副市長が語っていたように、これから先は、徐々に交付金の減額がはかられるようになるだろう。そうなると、いままで浜岡原発に依存して左うちわでやってきた御前崎市も、自立の道を模索しなければならなくなる。でも長い期間、原発頼みだったこの市が自立できるかどうか、非常に心配である。


 「浜岡原発のお膝元の御前崎市では、交付金はどのように使われているのか?その実態に迫る!」というタイトルで文章を書いたのは、福島第一原発の大事故の遭った年のこと。2011年11月に「週刊金曜日」の依頼で書いたのだった。すぐに掲載する予定だったようだが、「金と原発」の特集記事を組むとかで掲載を後回しにされた。


 そのあと「週刊金曜日」から連絡があったのは、年が変わった2012年2月末のこと。「3月9日号に掲載したいのですが」というメールをいきなり受け取ったのだった。原発震災の1年目に、この記事をぶっつけようとしている意図であることは理解できた。しかし、3月は僕にとって都合の悪い時期だった。翌月の4月15日には、御前崎市の市議選と市長選を控えていたのである。メールを受け取ったとき、まずまっ先に頭に浮かんだのは、選挙妨害にならないだろうかということだった。現役のY市議の金銭スキャンダルをたっぷりと書いているのである。この時期に発表すれば、誰が考えたって明らかに選挙妨害の意図があったと勘ぐられるだろう。


 迷った末、Y市議の携帯にアクセスした。彼の携帯番号を、懇意の市議に教えてもらったのである。Y市議にはごろつきとの交際が噂されていたので、その市議に「もし僕が姿を消したときには、彼が関係しているから」と告げて、聞いた電話番号にかけた。Y市議は運転中だった。「今日会いたい」と打診すると、すぐに「今日は忙しい」という返事が戻ってきた。用件をいうと、2時間後にイオンタウン内にある「パステル」というファミリーレストランで会おうということになった。


 昼過ぎに「パステル」に向かった。この店を利用するのは初めてだった。店内は広々としている。奥の席について少しすると姿を見せた。Y市議とはこのときが初対面だったが、きょろきょろしているのですぐにわかった。声をかけると、彼は痩せた小柄な体を正面の席に沈めた。「今回も、市議選に出るのですか?」まっ先にぶつけたのが、この質問だった。予期していたことだが、「もちろん」という返答が戻ってきた。そのあと、掲載する予定の原稿を見せた。原稿を眺めながら、彼はへらへら笑っている。こんな原稿、どうってことないと言っているかのように・・・・。


 少年の頃から稼業の酪農ひと筋で生きてきたY氏は、押す人がいて議員として初めて出馬するとき、「俺も少しはいい思いをしないとな」と語っていたそうである。いい思いとは、その当時中部電力から議員に送られていた、500万円とも800万円とも言われている巨額の当選祝い金などを手にすることを意味していたのだろう。原発の町御前崎市では、他の地域の市議にはない濡れ手に粟の余禄(賄賂)があったのは事実だった。


 Y市議が原稿に目を通しているとき、ふとまわりを見ると、切った張ったの世界で活躍しているような凄みのある顔だらけであった。Y市議が召集したのは明白だった。そのあと、Y市議とは口論となったのだが、我々の周囲の席にいるごろつき連中がいつ絡んでくるかと考えると、生きた心地がしなかった。市議と別れたあと、どうやってアパートに帰ったのか記憶に残っていない。


 アパートに帰ってからも、どうすべきか悩んだ。「週刊金曜日」の担当者は、「事実を書いているのだから選挙直前でも問題ないのでは・・・・」と語っていたが、倫理的に問題ありと判断し、結果的に原稿をボツにしてもらった。担当者にメールを送った直後、旧御前崎町選出の懇意の市議から、笑い声で、「生きていたようだな」という電話を受けた。


 翌月の御前崎市議選と市長選の同時選挙のとき、僕は原発反対を声高に叫ぶ市長候補の応援に奔走したが、あえなく落選。浜岡原発と一蓮托生である石原市長は2名の対立候補を大差で破り、あと4年間市長の椅子に座り続けることになった。肝心のY市議のことだが、定員16名中、Y市議はトップ当選を果たした。もし僕の記事が選挙前に発表された場合には、トップ当選というわけにはいかないだろうと思うが、彼が当選するのはまず間違いないだろう。御前崎とはそういう土地柄なのである。


 現在Y市議は、原子力対策特別委員会の委員長の役職にある。つまり中電とのパイプ役なのだが、「この役職は誰にも譲れん」と異常な執着を見せているそうである。よほどのうまみがあるのだろうと、他の議員から陰口を叩かれながら・・・・。


                                           おわり



 
 
 
原発労働者としての体験記を「宝島社」から出版しました。読んで頂いた方には感謝します。
2011年10月27日 川上武志


     中電のウソ
 
その1 排気筒から出ているのは本当に空気だけ?

その2 原子力発電のコストは本当に安いの?

その3 浜岡原発は本当に固い岩盤の上に建っているの?

その4 浜岡原発が活断層を避けて建てられてるって本当なの?


その5 原発が環境にやさしいって本当なの?

その6 浜岡原発が東海地震に耐えられるって本当なの?

     健康ハイキング
癌(ガン)と宣告されて
下請け労働者の実態
目安箱について
お金にまつわる話

アパートや借家の建設ラッシュ
不当解雇!
労災申請!
恐ろしい内部被曝!
街宣活動!
不当解雇 その2!
原発ジプシー!
ホールボディの身代わり
日常的に排出されている放射能
このような詩を見つけました
住民のエゴ 
汚染される海と空
危険すぎる浜岡5号機
プルーサーマルについて
死につつある海
5号機運転再開に住民投票を
放射線安全教育について
御前崎市で反原発の訴えを
ついに欠陥5号機運転再開

浜岡原発は決して「福島」にはならないという説明会

 
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